Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

思考はくるくる回るだけで危険がないもの

「自分」というのは曖昧なくくりだ。 僕たちは「思考」とか「感覚」とか「認識」というものを、一緒くたに「自分」と呼んでいる。

だが実は「自分」というのは、実は多くのプロセスが複合的に働いて形成されているものだ。

そして「思考」と「感覚」を区別することは、非常に役立つ。 なぜなら、思考と感覚は一瞬の間に、お互いに行き来をして、そのパワーが増幅されるものだからだ。

これは昔の西洋の本にかかれているような「精神と肉体は全く別のもの」という、硬直的な認識ではない。 お互いがお互いに影響するプロセスを認識しつつ、この二つを区別して理解するということだ。

たとえばネガティブなことを思考する。 それが感覚に影響を与える。 その感覚がさらに、次のネガティブな思考を生み出す。 お互いは密接に作用しあい、融合して「自分がつらい」という状態を生み出す。

僕らはこれを単に「つらい状態」だと思っているが、実は思考と感覚が増幅しあい、お互いに融合した状態なのだ。

だが実は、思考は思考に過ぎず、感覚は感覚に過ぎない。 思考には実は害はなく、感覚には悪いものはない。 これを理解していれば、思考が感覚に影響を与えた瞬間に、無限の悪循環を断ち切ることが出来る。

お互いがお互いに影響を与え合っているということは否定できない。 だがその影響レベルは、自分の「認識」によって全く違ってくるのだ。

僕たちの「認識」が、思考と感覚の二つを同一視していると、お互いの影響度はぐんと上がる。そして、融合した状態になる。 人間が考えることはだいたいネガティブなことなので、僕らはいつでも「つらい状態」になってしまう。

たとえば、こう考えてみよう。

  • 「思考は頭でくるくる回っているだけの軽いもので、まったく害はない」
  • 「思考と感覚が同時に起こると、まるで本質のように感じられるが、これは融合の結果にすぎない」
  • 「感覚は体の特定の状態にすぎない」
  • 「思考と感覚が融合さえしなければ、感覚にも害はない」

こう考えても良い。

  • ネガティブなことを考えた瞬間に、たまたま特定の感覚が起こっているだけで、ただの偶然かもしれない。
  • ネガティブなことを考えるからつらいのではなくて、ネガティブな思考と感覚を融合させてしまうから、つらい。
  • 思考と融合さえしなければ、感覚は楽しむことが出来る。