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マインドフルネスのヒント

瞑想、経験、そして人生。

一番最初に瞑想を始めたときの期待を思い出そう

瞑想を最初に始めた時は、僕は「苦痛」を感じていた。 だから瞑想をするたびに、心が安らかになって、もっともっと瞑想をしようと思った。 瞑想をすることを止めるものは、何もない状態だった。

だけどいったん瞑想の習慣が出来て、効果も現れ、その「苦痛」がやわらいでしまうと、瞑想に以前ほどのニーズを見出せなくなっている自分がいた。 なぜならば、今現在に問題を感じないなら、なんでそれをわざわざ解決する必要があるだろう。そもそも「解決すべき問題」がない状態なのだから。(そう感じられるのが本当か嘘かはさておき)

そういえば、いくつかの本にも「瞑想をやめてしまいたくなる時期がやってくるかもしれない」と書かれていた。

だがしかし、今ここで瞑想の習慣をやめてしまったとすると、おそらくだんだんと心は不安に傾いていくだろう。 自然に「今まで通りのネガティブな状態」に戻っていくことは大いに予想される。 そしておそらく、数年後に再び瞑想を思い出して「なんでこんなに大事なことを、途中でやめてしまったんだろう」と悔やむだろう。

だから本当に大事なのは、「うまく行っている時こそ、続ける習慣」だ。 たとえばダイエットや運動でも、いったんうまくいったからといってやめてしまえば、だんだんと元に戻ってしまう。 逆にダイエットや運動を続けてさえいれば、段々と良い方向に向かうばかりだ。 だから最も大事なのは「成果」ではなくて「瞑想を続ける習慣」なんだ。

「続ける習慣」さえあれば「成果」は何らかの形で必ず手に入る。 あくまで「続ける習慣」がベースにあり、そのうえに「成果」があらわれる。 だけど得られた「成果」に甘んじて「続ける習慣」を手放すのは、収穫の季節に稲だけを刈り取って、次の年の田植えをやめてしまうようなものだ。

瞑想を「ここまでやったら終わり」と区切ってしまうのはあまりにももったいない。 瞑想という習慣を日常の一部に組み、人生の一部に組み込んでしまえば、素晴らしい成果が得られるだろう。

そう、最も大事なのは続ける習慣だ。 だけど、あまりに「続ける習慣」だけに意識がフォーカスしまうと、それが無味乾燥に思えて「面倒臭い」と考えてしまうかもしれない。 だから、それよりもっと瞑想に必要なのは「期待」や「願望」だ。

僕が一番最初に瞑想を始めた時、「もっと楽になりたい」「この落ち着かない心をどうにかしたい」という大きな期待があり、願望があった。 瞑想の習慣の先に、もっと安らかで、もっと素晴らしい心の状態が待っていると考えた。実際にそれは本当だった。

そしてマイナスがゼロになった今、これからは、瞑想によって「ゼロからプラスになれる」という期待、願望を抱いている。 マイナスをゼロにすることには終わりがあれば、そこからプラスにするのであれば、きっとどこまでも果てしなく伸ばしてゆける。 もしくは、自分が気付いていないようなマイナスを掘り出して、それをゼロやプラスになるように導いていきたい。

瞑想をやめたくなった時。 瞑想が必要ないと感じられた時。 そもそも自分がどうして瞑想を始めたのか。その期待や願望に思いを馳せてみよう。