経験
森永のオレオは「クッキー」と「クリーム」に分かれている。 だけど実は僕らは、それが区別できていない。 ぐちゃっと、あいまいもこに判別している。 これはお菓子の世界じゃなく、心の世界の話だ。 ちなみにクッキーが「情報」で、クリームが「経験」だ。 …
新しい体験や、変わった体験は、 僕らを自動的に「体験モード」にさせてくれる。 たとえば、人生ではじめてディズニーランドに行ったら、きっとすべてのものが輝いて見えるだろう。 僕らはきっと全ての時間を「体験モード」で過ごすはずだ。 だけど同じディ…
最近行きつけのブックカフェで。 少しずつ「騎士団長殺し」の前半を読んでいる。 毎回、読み終えたページに本の紐(なんて言うんだろう)を挟んで、店を去る。 そうすると次に来た日には、まだ同じページに紐が挟まれている。 だから毎回、僕は同じ本に出会う…
マインドフルネスは「世界を体験する技術」だ。 どんな料理人も、最初から食材のニュアンスを理解できるわけではない。 どんなソムリエも、最初からワインの味の違いがわかるわけではない。 どんな音楽家も、最初から音の繊細さを聴き分けられるわけではない…
コーヒーは不思議だ。 口に入れるたびに、味が違う。 苦さが違う (舌のどの部分にコーヒーが触れるか、とか) 熱さが違う (淹れ立ては熱く、時間が経つと温度は変わるから) 自分の飲み方が違う (口に含む量とか、スピードとか) 自分の気分が違う (たとえば悩…
人は何故「経験」という、形の無いものにお金を払うのだろう。 それは「経験」の中にこそ、人生の意味が溶かされているからだ。 そして経験は最も、幸福の近くに住む。 僕らは経験を買っている ディズニーランドに行くのは、アトラクションに乗るためではな…
心には体験モードと 疑問モードがある さっきまであった幸せが 通り過ぎてしまったように感じる時 僕らは疑問モードにある 僕らはだいたい、疑問モードで過ごしている たとえば、同じような景色があっても 体験モードのときもあれば 疑問モードのときもある …
僕たちが気付くか、気付かないかの違いがあるだけだ。 1日を終えて家に帰る途中、見える景色に対しての、1秒ごとの認識 街をゆく人たちや、変わる信号や、通り過ぎる車の、二度と同じになることはない組み合わせ エレベーターの階数表示が変わる瞬間 実は、…