幸福
人間のあらゆる感覚の中で、幸福感ほど繊細なものはないと覆う。 だけど、そもそも「幸福の本質」が「繊細で、気恥ずかしがり屋」なのだとすれば、 僕らはいつまでも「安定した、大きな幸福感」にはアクセスできないんじゃないだろうか。 もし幸福の本質が繊…
マインドフルネスのトレーニングを積んでいても、最初は、なかなか幸福が見つけられないかもしれない。 幸福はごくたまに見つかる、ものすごく繊細なもののように思える。 かなり慎重に、注意力を払って、ごくたまに、ようやく、ほんの少しだけ見つかるもの…
瞑想に限界はあるのだろうか。 それとも、瞑想で無限に幸福になることが出来るのだろうか。 あらゆる技術は、最初がぐんと伸びて、だんだんと成長曲線がゆるやかになっていくものだという。 だけどそう考えると、仮に瞑想に1万時間を費やしたとしても、コス…
人混みって、威圧感を感じないだろうか。 普段からマインドフルネスのトレーニングを積んでいても、なかなか、完全に苦手意識を克服するのは難しいと感じるかもしれない。 たとえば、呼吸に穏やかな意識を向けたり、次々に浮かび上がる思考を受け流したり、…
幸福と不幸 僕ら「心がここにあること」で、幸福になることが出来る。 逆に「心ここにあらず」の状態は、ものすごく不幸を生み出しやすい。 これは力強い法則で、僕らが普段考えているような「幸福と不幸の原因」よりも、99倍も真実に近い。 だけど僕らは、…
僕は今日「ユーリカ!」と叫びたくなった。 すべての幸福の理由は「心がここにあること」だと分かったからだ。 そして、全ての不幸の理由は「心ここにあらず」のせいだということも。 心がここにある時、人は幸福になる 心がここにない時、人は不幸になる 人…
人は何故「経験」という、形の無いものにお金を払うのだろう。 それは「経験」の中にこそ、人生の意味が溶かされているからだ。 そして経験は最も、幸福の近くに住む。 僕らは経験を買っている ディズニーランドに行くのは、アトラクションに乗るためではな…
心には体験モードと 疑問モードがある さっきまであった幸せが 通り過ぎてしまったように感じる時 僕らは疑問モードにある 僕らはだいたい、疑問モードで過ごしている たとえば、同じような景色があっても 体験モードのときもあれば 疑問モードのときもある …
想像してみてほしい 心に「幸福追求モード」というものがあって スイッチがONの時と OFFの時があると ONの時は不幸に OFFの時は幸せになりやすい 一体どうなってるんだろう? これはパラドックスだ でもこのスイッチは 無理やりオフにはできない ONになって…
さっきまでの幸せが 今はもうない どこに消えたんだろう? 幸せは 来客みたいなもの 僕らがキョロキョロ探していると 居心地が悪そう って幸せは思う 追いかけたら 逃げる つかまえても 仲良くはなれないだろう 気まずいでしょ? 僕らに出来るのは、お茶を淹…
幸福はどこかに存在するけれど 直接は見えない 僕らが全力で走っているのは 不幸だったりする 逆に走っても同じ 幸福はどこにもないし どこにでもある 目を閉じてみよう 幸福は存在する だけど振り返っても やっぱり見ることは出来ない 幸福は「見えない」「…
エンプティネスとは何だろう 幸福を求める過ぎることとは違う 「今のままで良いや」という現状維持とも違う もちろん、幸福から遠ざかることとも違う 幸福なんて存在しない! っていう否定でもない 幸福の存在を認める だけど、幸福に関与しすぎない ただ、…
NGを 大きなOKで変えそうとする だけど、そいつは大きなNGになって返ってくる ひとつのNGを ありとあらゆる手でOKにしようとする すると、また無数のNGになって返ってくる すると無数のNGを、無数のOKで返さなくちゃいけない 続きは。。。 もうお分かりでし…
GOOD あなたはGOODを手に入れた。 OK ついにOKまでも手に入れた。 でも、なんだかHAPPYじゃない気がする 何故か満たされない いつでもHAPPYを探している そう、実は GOOD と OK と HAPPY は微妙に違う これを言い換えるなら 「思考」「状態」「存在」だ 自分…