マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

瞑想を長時間続けるのはやめなさい (ピークに敏感になろう)

大事なのは時間よりも質だ。
どちらか迷ったら、時間よりも質を優先しよう。

もし長時間の瞑想で質が落ちてしまうなら、時間を短くした方が良い。
その逆に、回数を増やした方が良い。

 

瞑想のピークをなるべく多く作り出そう。
ピークを何度も経験することによって、瞑想の経験値はグッと上がってくる。

 

瞑想関係の本にはよく、長時間の瞑想をする熟練者の話が出てくる。
だけどそれを初心者が真似しても、そのままうまく行くわけではない。
たとえばフルマラソンのランナーが42.195kmを走るからと言って、ビギナーにもそれが効果的な練習とは限らない。

 

それに、僕らの人生の時間は有限だ。
修行僧には多く時間があるかもしれないけれど、残念ながら、僕らにはそうではない。

 

だから時間にこだわるよりも、質にこだわろう。
全ての物事には始まりと終わりがあり、ピークがある。
それは瞑想も同じだ。

 

自分が感じる、一番良い時間で瞑想を終えるようにしよう。
たとえば心地良さや、集中力の高まりを感じているなら、まだ瞑想を終えるには早すぎる。
逆に眠くなったり、いちど落ちた集中力が戻ってこないようなら、瞑想を終えるのは遅すぎる。

 

瞑想のピークに敏感になると、すごいご褒美が付いてくる。
それは、頭が冴えることや、もっと瞑想が好きになれること、最高に心地良いこと、他のことをする時間が出来ることなどだ。

 

瞑想のピークに敏感になること自体が、自己洞察力を高めてくれもする。
なぜなら、自分の状態を観察しなければ、瞑想のピークは分からないから。

瞑想は帰り道

家の中にいるのではなく、単に外の世界にいるのでもなく、家に帰る途中の道にいる。

そんな感じがした。

 

旅に似た感覚。

懐かしい家に帰る途中。

景色は変化してゆく。

家が待っているから、すべてが暖かく感じる。

 

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家・建物のイラスト「1階建て一軒家」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

「途中の道」は常に美しい。

 

料理は瞑想になる (正確に、流れるように動く)

料理は瞑想だ。

たとえば禅の教えでも、特に料理を重視するものがあるぐらいだ。

 

特に僕が今日思ったのは、

「食材をよく見て、正確に切る」

ということが、マインドフルネスをもたらしてくれそうだということだ。

 

これは「速く動く」ということははない。

単に「ゆっくり動く」ということでもない。

「よく見て、正確に動く」ということだ。

そして「正確に動く」ことの連続で「流れるような動き」が作り出されることだ。

 

1個1個の食材を、順番に洗う。切り分ける。

調味料のストックが切れていれば棚から取り出す。

不必要になったものは袋にまとめる。

こうした必要な動作を、ひとつずつ正確に、流れるように進めていく。

 

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料理のイラスト「男性」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

速い料理 VS 遅い料理

今まで僕は料理を「速いか」「遅いか」という軸でだけとらえていた節があった。

「瞑想の訓練なら、ゆっくり動くべきかもしれない」

「だけど、時間は速いほうが良いし」

と思っていた。

 

だけど今思えば、この二つの軸で考えること自体が、より低次元のものだったのだ。

 

「よく見て、正確に動くこと」は、この単純な軸の上にはない。

正確に動くことで、単に速く動くよりも、単にゆっくり動くよりも、おそらく料理のクオリティは上がるだろう。

むしろ、トータルでは動作の無駄が少なくなり、時間も短縮されるかもしれない。

 

何より「正確に動いている自分」や「料理をする行為の美しさ」に見とれることが出来る。

 

心のオーバーフロー

心がオーバーフローする瞬間を見つけることがある。

その瞬間はとても不快なもので、一瞬で心のエネルギーが失われる。

 

もともと思考というものは、コントロールを失いがちだ。

あれもこれも、過去にも未来にも、何百ものことを数秒で考えるようでは、とても、ひとつの心には収まりきらない。

たとえば僕なら、短い間隔でブログを書いたり、ウェブサイトをいくつも開いたり、本も片手に置いて、マルチタスクをしようとしている最中は、心はオーバーフローを起こしやすい。

 

心にはシングルタスクがとても似合っている。

「今への集中」には、美しいものがすべて含まれている。

美しいものは「ひとつの流れ」の「ひとかたまり」のものだ。

複雑なものが統一的に機能しているものだ。

 

もし美を味わいたいならば。

たとえば、アイスコーヒーとホットコーヒーを混ぜ合わすようなことがあってはならない。

たとえば、ディナーとデザートを1秒ごとに交互に食べるようなことがあってはならない。

 

心がオーバーフローした時は、マルチタスクからシングルタスクへと、何度でも盾戻そう。

 

オーバーフローした心はとても支配的だ。

だけど「溢れていること」にさえ気付ければ、それ以上溢れることは防げる。

 

目を閉じて呼吸が出来るなら、そうしてみよう。

 

信じよう。

心が家を見つける度に、そこに帰りやすくなると。

僕らは、帰り道を覚えてゆく。

 

「目の前のことに集中する」のではなく、「目の前に存在しないものに集中しない」という感覚が近いかもしれない。

 

気付いているだろうか。

目の前に究極の美があるのに、僕らはそれをついに、手に取らないままだ。

 

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ミニマリズム + 習慣化

最近、ミニマリズムのおかげで「習慣化」がずいぶん上手く出来ているんじゃないかということを考えた。

普段は意識しないけれど、ミニマリズムも「影響の輪」の中では、かなり大きな存在なのかもしれない。

 

たとえば部屋の状態が片付いていれば「出かける前の習慣」は作りやすい。

 

夜眠る前に、部屋の状態をシンプルに整えておく。

あるべきものはあるべき場所に置かれている。

すると、朝起きても雑然とした物事に心をとらわれることはない。

毎日、自分の決めたルールを忠実に実行できる。

 

これがもし部屋や日常が散らかった状態であれば、

「あっ」といって、習慣を忘れてしまいそうだ。

 

ミニマリズムは自分の行動を変えるための、整えられたベースみたいなもので、この効き目が後からジワジワ出て来るような気がした。

 

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1日の時間を2倍にする30分昼寝の効果

いくつかの本に書かれている通り、30分ほどの昼寝には素晴らしい効果があるようだ。

まるで朝起きたばかりのエネルギー状態が体に戻って、全く新しい1日をスタート出来る感覚。

昼寝の効果を最近、以前にも増して実感している。

 

睡眠はまだ解明されていない部分がものすごく多いらしいが、眠り方によって睡眠の質は千差万別に変わるというのは、本当なのだろう。

僕らは現段階では、科学的研究の成果を待たずに、自分たちで試行錯誤して、自分にとってベストな「睡眠法」を編み出す必要がある。

 

ところで昼寝が有効に機能するには、前提条件があるように思う。

 

あくまで個人的な感覚だが、それは

 

  • 夜にちゃんと良質な睡眠が取れていること。
  • 睡眠負債を返済し終わっていること。
  • 絶妙なタイミングで昼寝をとること。

 

というようなことじゃないだろうか。

 

僕の場合、今まで休日に昼寝をとると、30分のつもりが数時間は眠ってしまって、逆に睡眠のリズムを崩してしまうことが多かった。

昼寝は非常に危険な賭けだった。

たぶん夜の睡眠の質も低く、睡眠負債がたまった状態だったんじゃないだろうか。

 

睡眠の改善のために昼寝を取るのに、そもそも大前提として、良い睡眠を取っている必要があるなんて。

もしこれが本当だとしたら、なかなか難しい話だ。

だが逆に言うと、良質な睡眠さえ取れていれば、昼寝は本当に有効に機能してくれるということになる。

 

人生はいちどしかない。

人生の時間を伸ばすには、睡眠を削るのではなくて、むしろ睡眠の機会を増やすことだ。

そう思わせるぐらい、良い昼寝をとった時の「エネルギーの高まり」には素晴らしいものがある。

 

体の中で消えていた火が、また灯される感じ。

瞑想をしても、エネルギーの高まりと、神性な幸福感を感じられる。

読書をしても、すべての言葉がスムーズに頭に入ってくる。

 

夜の睡眠が技術なら、昼寝も技術であることに疑いはないだろう。

 

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提案

  • 昼寝は「寝過ごす危険」がない時に取る
  • 昼寝の効果を最大限に高めるために、日頃から、夜に良質な睡眠をとっておく
  • 昼寝の時間は30分程度を目安とする
  • カフェで座りながら、呼吸の数をカウントするなど、目を閉じてゆっくりするだけでも昼寝に近い効果がある

 

 

 

心のブラックボックス 〜機能する時、機能しない時〜

ひとつの瞑想が機能する時と、機能しない時がある。

読書が機能するときと、機能しない時がある。

ネットサーフィンが機能する時と、機能しない時がある。

ブログを書くことが機能する時と、機能しない時がある。

カフェでコーヒーを飲むことが機能する時と、機能しない時がある。

自然の中を歩くことが機能する時と、機能しない時がある。

オンラインゲームをやるのが機能する時と、機能しない時がある。

運動が機能する時と、機能しない時がある。

ステレオで音楽を聴くのが機能する時と、機能しない時がある。

映画を観ることが機能する時と、機能しない時がある。

睡眠が機能する時と、機能しない時がある。

愛が機能する時と、機能しない時がある。

 

このように人間の状態というのは、ブラックボックスが存在している。

新しい研究によると、心理学的にも、人間の状態には謎に持ちたブラックボックスが存在しているらしい。

 

この何年か、何百もの調査研究を経て、無意識に対する新しい見方が登場してきた。フロイトの理論と真っ向から対立する見解である。フロイトは、考古学の地層を掘り進めば、思考や行動の真の理由にたどり着けると考えた。現代の多くの心理学者はそうは考えない。  無意識の中心部は地層というよりも地核のようなものである。「心の地震」や「思考の噴火」みたいなかたちで結果は伝わるが、実際の原因は謎に満ちている。だから、私たちの感情や態度、決定は、意識的な自己にわかる明快な理由もなく変動し、混乱をもたらすことが往々にしてある

 

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 ( 良い習慣、悪い習慣―世界No.1の心理学ブロガーが明かすあなたの行動を変えるための方法 )

 

「昨日は機能したから、今日も機能するだろう」というのは思い込みだ。

ましてや「機能していないのに、機能していると思いこむこと」は不幸の始まりだ。

 

有効に働く瞑想をしよう

 

瞑想にも多くの種類が存在する。

それは「身心のあり方」のバリエーションの分だけ、それに対する働きかけも存在するからだ。

 

つまり、無限の組み合わせが作り出せる。

運動でも、練習には無限のバリエーションが付けられるように。

料理でも、材料や調理法の組み合わせ次第で、無限のメニューが出来るように。

 

僕らが瞑想をする時は「今、有効に機能するもの」を選ぶと良いだろう。

 

たとえば、「集中する感覚」が「有効に機能する」ならば、そうする。(アンカリング)

たとえば、「脳や体を休める感覚」が「有効に機能する」ならば、そうする。(レスティング)

 

たとえば、「ただ存在する感覚」が「有効に機能する」ならば、そうする。(ビーイング)

 

「昨日はうまくいった方法」も「今日は何か違う」かもしれない。

「あれ、何か違うな」と思ったら、それは自分のブラックボックスの中で、何か地殻変動があったのかもしれない。

 

瞑想が一種類でないということは、僕らの多いな助けとなる。