瞑想とシングルタスクの関係 ( シングルタスクは能力である )
「SINGLE TASK 一点集中術――「シングルタスクの原則」ですべての成果が最大になる」を読んだ。
「シングルタスクは能力だ」というのが、この本から受けた一番のメッセージだ。
弱さでも、のろまさでもなくて、シングルタスクこそが能力なのだ。
そして瞑想は、このシングルタスクととても相性が良い。
もし僕が瞑想を実践していなかったら、この本を読んでも、頭で納得するだけだったかもしれない。
「いや、でもやっぱりマルチタスクでしょ」といって、全く否定していたかもしれない。
だけど瞑想のトレーニングを続けているおかげで「ひとつのことに集中する」ことや「今、ここに存在すること」は、実感として非常に分かりやすいものになっている。
以前よりもはるかに、1個1個の物事を落ち着いて片付けていくことが出来るようになった。
こればかりは、自分が体感してみなければ分からない感覚だ。
シングルタスクを身につけるにはどうすれば良いか?
これは頭でだけ分かっていても仕方がない。練習で少しずつうまくなる分野だ。
そして瞑想は絶好のトレーニング手段だと思う。
トレーニング方法
たとえば知的労働の人は、読書をしながらのトレーニングなんか良いと思う。
ちょっと難しい目の本を読む。意識が本の内容から離れるたびに、意識を本の内容に戻す。
これを繰り返すことで、だんだんと「没頭するとは何か」という感覚が分かってくるかもしれない。
ただ、普段からフォーマルな瞑想をしていないと、無意識に力が入って疲れ果ててしまう恐れもある。
同時にフォーマルな瞑想も実践して、自己洞察力を上げておくのが良いだろう。
(瞑想をしていると、絶妙な意識のコントロール方法が身について、難しいことをやっても疲れづらくなる)
読書はショートカット
「なら何も、この本を読まなくても理解していることなのっでは?」と思うかもしれないが、どうやら「本を読むこと」は時に、非常に役立ってしまう。
瞑想を続けていて、体で分かり始めていたことが、本を読んで改めて、頭でもスッキリと分かるということは多い。
自分が薄々感じ始めている事実に、ショートカットの橋をかけてくれるような感覚だ。
瞑想が万能の解決策じゃない、少なくとも常に最速の解決策じゃないということは、ちょっと悔しいけれど。
僕らは自分たちの能力について、驚くほどの多くの間違えを刷り込まれているから、この洗脳から解けるための手段は切実だ。
少しでも人生の早い段階で、間違いを正して、正しい道を進んだほうが良い。
たとえば「瞑想を能力を開発して、なんでもマルチタスクで実践できるように」という目標を描いていたら、そもそも地図を間違えているわけで、目的地にたどり着くのは遅くなるだろう。
瞑想は旅である ( あるいはキャンバスに描く絵である )
今日は1時間の瞑想をした。
以前よりもはっきりと、瞑想が旅に似ていることを感じた。
蒸気機関車・汽車のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
1. 集中ゾーン
僕の場合、瞑想を始めてすぐのタイミングは、クリアな意識の状態で、非常に集中しやすい。
純度の高い集中力を感じるのは、開始直後の時間帯だ。
自分という軸があり、なおかつ、それを客観的に察知しているような状態。
過去にも未来にもとらわれず、今現在だけに存在することが出来る状態。
この集中ゾーンは、実感としては永遠に続くかに思われる。
だけど同時に、集中にはピークがあるということを僕は知っている。
だからここを過ぎると、だんだんと雑念が多くなってくる。
景色が変われば旅も変わる。
少しの眠気を感じ始めた頃、僕は瞑想のモードを「アンカリング(集中)」から「レスティング(休息)」に切り替えた。
2. 休息ゾーン
眠気を感じながらでは、瞑想での集中は難しい。
そこで僕は、この眠気に逆らわずに、寄り添って癒やしてやることにした。
(以前の瞑想で、自分の「眠気」に逆らわず、目覚めながら熟睡するような感覚を身に着けたのだ)
何かに集中しようとせず、脳を自由にして、休ませてあげる感覚。
破壊と再生のバランスを、再生に傾ける。
心地良さを感じる限り、休息を続けてみる。
瞑想のトレーニングを続けていると、こうやって意識的にスイッチを切り替えて、瞑想のモードを変えることができるようになる。
そして段々と眠気も癒されてきた頃、僕は集中ゾーンに戻ろうとするのではなくて、こんどは意識を拡散させてみることにした。
3. 拡散ゾーン
瞑想では基本的に「集中しなさい」と教えられる。
「心ここにあらず」は戒められる。
だけど実はDNM(デフォルト・モード・ネットワーク)には実は良い面もあって、それはインスピレーションの源になることだ。
暴れ馬をあばれさせるのではなくて、ペガサスを自由に羽ばたかせるような感じ。
だから僕は、わざと意識を拡散させて、何かインスピレーションが下りてくるのを待った。
たとえば「職場を遊び場にするには?」「世界を遊び場にするには?」というようなテーマを与えてみた。
そして無理に答えを探すのではなくて「おりてくる」のを待ってみるのだ。
ところで僕は瞑想をしながら物思いにふけるのが好きだ。
瞑想の良いところは、考え事をしていても、まったく焦りを感じないということ。
ひとつの問いを心に与えて、どれだけ答えが出てくるまで時間をかけても良いし、答えが出てこなくても良い。
そんな風に物思いにふけるのも瞑想の醍醐味だ。
そして、やがてテーマを与えるのにも疲れを感じ始めた頃、僕はこの駅も発車することにした。
4. 存在ゾーン
アンカリング、そしてレスティング。
集中の度合いをだんだんと落としていって、そして意図的な休息・拡散さえも難しくなってきた頃に、こんどは「ただ存在してみる」ことにした。
ただ楽にかまえて、存在することだけを楽しんでみる。
全てのコントロールを手放していくような感じ。
たとえばヨガの教室でも、前半に頑張って体を動かした分を、後半に「手放していく」という時間を設けていたりする。
これは実は、ごく自然なサイクルなのかもしれない。
全てのものにはリズムがあり、始まりと終わりがある。
世界には朝と昼と夜があるように。
花につぼみ、開花、枯れる時期があるように。
季節に春夏秋冬があるように。
きっとそれが自然なことなのだ。
「季節は春だけで良い」とか「夏だけで良い」とか思うのは、人間の直線的な思考だけだ。
この世に変化しないものはひとつもない。
瞑想や座禅の世界でも「これこそが瞑想だ」という考えがいくつもあるけれど、僕にとって瞑想は、朝昼夜の時間がある「旅」に近いものだ。
5. 哲学ゾーン
と、そんなことを考えながら「存在」を楽しんでいると、ふと、自分が哲学的思考をしていることに気付いた。
またこの旅の駅が変わり、景色が変わったのだと思った。
以前にも瞑想の終わりがけに、自分の存在や意識に対して、哲学的思考をしているとも言える状態になったことがある。
もしかしたらこの旅の終着駅は、哲学の道に通じているのかもしれない。
まとめ
瞑想は旅だ。
もしくはキャンバスに自由に絵を描いていくような感じだ。
決められた色ばかりを使う必要はないし、決められた絵を描く必要もない。
使える色はだんだんと増えてゆくし、絵筆の扱いも見事さを増してゆく。
キャンバスに自由に絵を描いていくような感じだ。
決められた色ばかりを使う必要はない。
そして、使える色はだんだんと増えてゆくし、絵筆も自由に扱えるようになってゆく。
連続3時間の瞑想に成功
記録更新だった。
時間: 日曜日 朝10時 - 昼1時
環境: 無音、室温はひんやりとして寒さを感じるぐらい
経験: 瞑想を1年半実践
最初は30分ほどの瞑想をするつもりが、
「あと30分は行ける」「あと30分は続きそう」と時間を伸ばして、結果的に3時間連続の瞑想となった。
決して激しいランニングではないが、軽くジョギングを3時間続けたような感じだ。
ずっと心地良い感覚が下地にあった。
3時間経ったあとも、消耗せず、始めたときよりも頭がクリアな状態だった。
たとえば赤ん坊は、いったん立って歩けるようになると、そこからだんだん歩行距離が伸びて、ずっと歩き続けられるようになる。
たとえばジョギングでも、ある程度まで持久力がつくと、そこからは無限に続けられる時がやってくる。
それと同じで瞑想も「無限にできるようになるポイント」があるのかもしれない。
瞑想をしていても、ほとんど消費しない。むしろ少しずつ回復していくとすれば、理論上はいつまでも続けられるはずだ。
こう考えれば、リトリートなどで1日8時間の瞑想をするという話も、別に大変なことじゃないように思えてきた。
たとえばフルマラソンだって4,5時間は走るぐらいなのだから。
むしろ、それに比べたらずっと楽な話じゃないだろうか。
マインドフルネス瞑想の基本 (レジュメ)
マインドフルネスの効果
個人的効果
- 1年の瞑想を実践して、ストレスが実感10分の1ぐらいになった
- 仕事で「なんでそんなに焦ってるんだ」と言われるところから「なんでそんなに落ち着いてるんですか」と言われるぐらいに変わった。
- 自己洞察力が高まって、仕事の疲労を防ぎやすくなった。
- 仕事や人間関係など、多くの物事に対して、大抵のことには動じなくなった。
- 瞑想はやればやるほど効果が出る。瞑想によって脳さえも変わる。(脳の可塑性)
マインドフルネス瞑想とは
- 宗教色のない心のトレーニング方法。
- 集中力が上がる、ストレスを減らす、人間関係を改善するなど、無数の効果があることが、多くの科学的実験、論文で裏付けられているらしい。
自己啓発との違い
- 自己啓発は主に思考を変えようとするが、思考は自動的に生まれてくるものなので、変えるのが難しい。
- 自己啓発の本を読むのは、「プロ野球選手になる方法」という本ばかりを読んで、全く練習しないのと似ている。
- 瞑想は具体的な練習。スポーツも練習するとうまくなるように、瞑想も練習でうまくなる。
瞑想のやり方
基本はすごく簡単。
目を閉じて自分の呼吸に注意を向ける。
物思いで注意がそれたら、また呼吸に注意を戻す。
たったこれだけ。これが筋力トレーニングのような働きをして、集中力や自己洞察力などの「基礎の基礎」を鍛えてゆく。
たとえば運動でも、スクワットはごく簡単な動きだけど、実践すれば筋力を付けることが出来る。
ただ瞑想にもいろいろな種類があって、慣れてきたら好きなバリエーションを付けることも出来る。
よくある質問
Q.どこでやるの? お寺で?
A. どこでも出来る。僕の場合は主に自宅や、会社のソファ。あとはカフェや、歩きながらとか。(岩盤浴をしながら瞑想したのは素晴らしかった)
Q.心が無に近づくの?
A.無に近づいていく感覚の時もあるし、そうじゃないときもある。
Q. なんで瞑想を始めたの?
A. 仕事でものすごく悩んでいた時に、ちょうど瞑想・座禅の出版ブームがあって、たまたま見つけた。自分にはものすごく合っていると感じた。
Q.瞑想中は何を考えてるの?
A.色々な考えが自動的に浮かんでくるけれど、それを受け流していく。時には瞑想をしながら、意識的にひとつのテーマについて考えたりすることもある。
Q.どんな姿勢でするの?
A. 僕の場合はあぐらをかいて、手と手を結ぶ、いわゆる一般的な瞑想・座禅のポーズ。だけどポーズにはとらわれなくて良い。
Q.1日何分ぐらいやるの?
A.1日5分程度でも大きな効果をもたらすことが知られている。自分の場合は、長いときには休み休み3,4時間やったりする。
Q.いつ瞑想してるの?
A. 自分の場合は朝起きてすぐに、昼休み、仕事終わり、寝る前、ベッドの中でなど、色々。
瞑想で睡眠時間は減らせるのか?
僕は基本的には、瞑想と睡眠時間は全く別軸だと考えている。
つまり、瞑想をしてもちゃんと睡眠は必要だと。
だから瞑想をして眠たくなった時は、素直に眠るようにしていた。
だけど今日は不思議な体験をした。
瞑想をしながら、まるで眠っているような感覚に陥ったのだ。
整理すると、ポイントは3個あった。
- 眠気に抵抗しない
- 逆に、眠気に屈服しない
- 眠気に対して優しく働きかけて、癒す
といった感じ。
自分の中の眠気と、うまく付き合えているような状態。
今まで眠気は瞑想の敵だったけど、急に味方に変わったかのような。
ちゃんと意識はあるのに、体や脳は深く眠っているような感覚。
二つの矛盾した状態が、ちゃんと両立している。
今までで初めての、不思議な体験だった。
1時間の瞑想を終えると、3時間よく眠った後のような感じがした。
これを考えると、瞑想が睡眠のかわりになるというのは、あながち嘘ではないのかもしれない。
瞑想にも本当に色々な状態があるけれど、その中のひとつに、眠気に直接アクセスするような状態があるのかもしれない。
マインドフルネスとモンスターハンターの共通点
モンスターハンターでは、敵のパラメータは見られない。
なのでうまく戦いを進めるには、経験と観察が必要だ。
熟練のハンターになると、敵の状態を理解して戦うことが出来る。
瞑想も同じで、続けているとだんだんと自己観察力が深まってくる。
自分の心や体に「隠しパラメータ」のようなものが見えてくる 。
今までは理由が分からなかったものが、分かるようになる。
見えていなかったものが見えるようになる。
そして対処できるようになる。
これが瞑想の醍醐味だ。
座禅と瞑想って何が違うの?
何も違わない。
と、僕はそう思っている。
お米を「米」と呼ぶか「ライス」と呼ぶかの違いぐらいじゃないかと。
ふたつとも座りながら、意識に対して働きかけをする。
何が違うんだろう? 何も違わない。
そもそも、世界各地の瞑想のやり方だけで無数の違いがあるのに、座禅だけ特別扱いをするのも変な話だ。
だから「同じです」でも良いんじゃないだろうか。
(あまり、おもしろい回答ではないけれど)
余談。
僕は趣味を聴かれた時は「座禅です」と答えるようにしている。
ZAZEN
Zの音が二つも入って、響きもなんだか格好良いしね。