憂鬱な気分を吹き飛ばして、心を楽にするテクニック (観察・発見・受容)

最近、僕は「受容」のテクニックにはまっている。

こいつはすごく強力で、不安を解消し、心の安定度を高める効果がある。

マインドフルネスの優れたテクニックだ。

 

これをうまく使えば、

「呼吸を整える」
「呼吸を意識する」

というテクニックよりも、はるかに高い効果がある。

 

「自分を受け入れる」って何?

 

これは一般的な言い方をすれば「自分を受け入れよう」ということだ。

 

でも「自分を受け入れる」って、そもそも、どういうことなんだろう。
表現が曖昧で、ぜんぜん分からないと僕は思う。

 

うまく出来る人は出来るし、出来ない人は出来ないだろうって思う。

 

だけどマインドフルネスでは、具体的な練習をおこなうというところが良いことだ。

 

自分が実践している「受容」のテクニックは、心理学的に正しいアプローチなのかどうかは分からない。
だけど実感として「心が楽になる」現象が起きているのが事実だ。

 

1.観察と発見

 

具体的な方法。

「なんだか嫌な感じ」
「なんだか落ち着かない感じ」
がする時に、そっと目を閉じてみる。

 

たとえば、探偵になったような気分で
「一体、どこで、嫌な感じがしているんだろう」
ということを、体の中で、ゆっくりと探してみる。

 

そうして、しばらく「嫌な感じ」の場所を探していると、あるとき「あ、これだ」と見つかる瞬間ある。
その場所は、時には胸のあたりだったり、頭のあたりだったり「どこかの空間」に「何かの形」を持って、存在している。

 

これが第一段階の「観察」と「発見」のプロセスだ。
不思議なのは、こうやって「嫌な感じがしている場所」を突き止めるだけで、そのレベルが、グンとましになるということだ。

なので「発見」をしただけで、もう充分だということも多い。

 

なぜそんなことが起こるんだろう。

 

人間の意識には複雑なプロセスが働いている。これは脳科学の世界では常識だ。
理由は分からないけれど、どうやら心の世界には「発見して、理解するだけで、嫌な感じが弱まる」という現象があるようだ。

 

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2. 受容

 

次に第二段階。

「観察」と「発見」をして、まだ嫌な感じが残っているなら、次に「受容」のプロセスに移る。

この段階では、あなたはもう「嫌な感じ」の場所や、その形を突き止めている。
「嫌な感じ」が「自分自身」ではないことを理解して、「感覚の外部化」が出来ている状態だ。

 

受容のテクニックを試すのは、具体的にはどうすれば良いのだろう。

あなたは既に「自分の反応」を発見している。
だから「嫌な感じ」に対して、逃げようとしたり、避けようとしたりしている自分に気付くと思う。


なのであとは、その反応を変えてみようと試みる。

 

たとえば「嫌な感じ」が「怒っている猫」だとしよう。

あなたは無意識に「恐いから、逃げよう」としているかもしれない。
だけど逆に「なでてあげる」「優しくする」というアプローチを取ってみる。

 

こうやってアプローチを変えて、
そして「感覚」と「自分の反応」の関係性を理解していく。

エッセンスは「自分が無意識に行っているアプローチに気付く」「アプローチを変える」ということだ。

 

受容が成功すると、必ず心は楽になる。
だから、成功や失敗の結果は、自動的に分かる。

逆に、心が楽にならなかったとしたら、受容は失敗だが、逆に経験値は溜まる。
受容が失敗しても、それは「経験を積む」という意味では大きな成功だ。

 

最初からうまくいくわけはないのだから、何度でもやってみれば良い。
何度やってもうまくいかなければ、もっと別のイメージを描いてみたり、アプローチを変えてみれば良い。

 

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繰り返すほどうまくなる

 

コツは「嫌な感じがしている、対象そのもの」じゃなくて
「嫌な感じに、反応している自分」を観察して、その「反応」を受容してみること。

 

たとえば「明日の仕事」を思い浮かべると、嫌な感じがするという場合。

受容するのは「明日の仕事」そのものではなくて、
「明日の仕事が、嫌だなと思う、自分の反応」だ。

 

このテクニックのメリットは、繰り返せば繰り返すほど「嫌な感じ」のレベルが下がっていくということだ。
たとえば僕は以前、休日に「明日の仕事」のことを考えるだけで、嫌な汗をかいて、強いストレスを感じていた。

 

だけど受容のテクニックを繰り返すだけで、だんだんと「嫌な感じ」のレベルが下がり、半年ほどかけて、ついにはほとんど消えてしまった。
10000が1に減った感じだ。

 

ちなみにいったん「受容」しても、それでゲームクリアというわけじゃない。
なんど「受容」してもまた、同じ「嫌な感じ」が現れるかもいしれない。

だけどそのたびに、受容のテクニックを繰り返す。
するとだんだんと、波を描くように「嫌な感じ」のレベルは下がっていく。

 

注意点


このテクニックには注意点もある。

それはなるべく、リラックスできる環境でおこなった方が良いということ。
自分の対処能力を越えるような環境だと、高度なテクニックは難しい。

たとえば気温30度の真夏日に、直射日光を浴びながらというのは難しいだろう。

 

もうひとつは、受容しようとすることで、逆に力が入ってしまうのに気をつけること。
もし何度「受容のテクニック」を試しても、逆に嫌な感じが強まるなら、他のマインドフルネスのテクニックから試した方が良いだろう。

たとえば呼吸を整えるとか、呼吸に意識を集中するとか。

 

まとめ


このテクニックを覚える最大の利点は、自分の対処能力を信頼できるようになるということだ。

もう、嫌なことから逃げなくても良い。回避しなくて良い。
「嫌なことを受け入れられる能力」がそなわれば、本当に最強だと思う。

 


たとえば、いくら借金を背負ったとしても、収入のアテがあればどうにかなる。
たとえば、落とし穴に落ちても、這いのぼれる筋力があればどうにかなる。

たとえるなら、そんな感じだ。

 

そして、この受容のテクニックは「嫌な感じがするもの」であれば、ほとんど扱うことが出来るのも利点だ。
「この問題には対処できて、この問題には対処できない」という区別が、あまりない。

それも、このテクニックが強力な理由のひとつだ。

 

この人生において、今までひとつずつ背負ってきた荷物を、ひとつずつ降ろしていくこと。
間違って歩いてきた道を、少しずつ戻っていくこと。

そして、降ろした荷物の重さに気付くこと。
こうやって、歩くことは少しずつ楽になっていくように思う。

 

イラスト

探偵のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

じゃれあっている猫の親子のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

 

「水と肥料のどっちが大事なの?」 瞑想の種類が多くて迷ったら

たとえば農家の人に、

「水と肥料、どちらを使ったら良いですか?」

と聞かれたら、どう答えたら良いんだろう。

 

 

たとえば、一人暮らしを始める人に、

「洗濯機と電子レンジ、どちらを買ったら良いですか?」

と聞かれたら、どう答えたら良いんだろう。

 

たとえば、恋人に、

「仕事と私、どちらが大事ですか?」

と聞かれたら、どう答えたら良いんだろう。

(「あなたです」と答えてあげたら良いと思うけれど)

 

「どっちもだよ!」って思わないだろうか。

 

世間一般の「どちらが良い?」っていう質問には、大きな落とし穴がある。

 

「どちらが良い?」っていう質問自体が、理解のレイヤーが浅く、間違っていることが多いということだ。

 

瞑想、どれが良いの?

 

瞑想にも色んな種類がある。

 

  • 呼吸に意識を集中する (集中)
  • 心を観察する (観察)
  • 何もしようとせず、ただ座る、ただ存在する (存在)
  • 自分や他の人の幸福を祈る (祈り)
  • 自分の思考を洞察して、問いかける (フォーカシング)

 

これも「一体、どれが良いの?」って考え始めてしまうと、まず答えは出ないだろう。

 

「全部だよ!」というのも、ちょっと違う。

 

なぜなら時と場合によって、どれかは必要かもしれないし、どれかは不必要かもしれないから。

 

なので僕自身は、

「必要な時に、必要な瞑想をすれば良い」と思っている。

 

脳の種類はたくさんある

 

たとえば、脳だって一種類じゃない。

前頭前野とか、海馬とか、扁桃体とかに分かれている。

 

これはおそらく、心の働きに置き換えても同じだ。

これらを総合的に鍛えることで、より安定した心理状態を作り上げることができるだろう。

 

 

瞑想の種類の選び方

 

僕自身は最近、あまり頭で考えずに、

「いまはこんなトレーニングが良いかな」と、直感的に選べるようになってきた。

 

たとえば「今は心が高速回転しているから、呼吸で息を整えてみる」とか。

たとえば「今はすごくエネルギーがあるから、無の感覚に挑戦してみる」とか。

 

これは「経験済みの瞑想」をするときの話。

 

逆に、自分で意識的に工夫して、瞑想のトレーニングを組み立てるようにもなってきた。

 

たとえば

「そういえば人の話し声って苦手だな。じゃあ店のざわめきの中でも、安心を見つけてみよう」とか。

「レジの前に立つ時って緊張する。じゃあ、店員さんの幸福を祈ってみよう」とか。

 

これは「新しいタイプの瞑想をする時」の話。

 

(武芸やスポーツと同じで、瞑想でも、自分でトレーニングメニューを組み立てるのはすごく役立つ)

 

 経験は自然と、僕らに味方する。

もしくは意識的に選び方を工夫することで、選び方自体を上達させることが出来るだろう。

 

歩き方は変えられる 〜エネルギーが充填される「パワーウォーキング」のすすめ〜

結果から言おう。

 

僕が日頃から感じていた「速く歩けない」という問題は、

「歩き方を工夫する」ことで、劇的に改善出来た。

しかも、たったの1、2週間で。

 

あまりにも大きな変化なので、自分自身驚いている。 

今では、悩んでいた頃とは逆に、以前よりもずっと「パワフルな歩き方」「体にエネルギーが充填されるような歩き方」が出来るようになってきた。

 

歩くことが本当に楽しい。

歩けば歩くほど、リラックスして、心地良くなり、頭が冴えてくる。

階段を登るのにさえワクワクする。

 

今では歩くことに対して、大きな感謝の念を抱いている。

 

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歩き方は改善できる

「歩き方は、変えることが出来る」。

これを理解しただけで、僕らはもう、99%勝利したようなもんだ。

 

なぜなら普段、僕らは「歩き方を工夫する」という観点さえ持っていないはずだから。

だから「自分で工夫して、改善できる」と気付いただけで、ほぼ問題解決したようなものだ。

 

あとはただ、工夫を積み重ねていけばいい。

 

自分で歩き方を工夫する

歩き方にかぎらず、世の指南系の本には、なんだか文章がいっぱい並べられていて、

ことこまかに「正しいフォーム」とか「順序」とかが書かれているイメージがある。

 

 

だけど僕は、もっと大事なことがあると思う。

それは「心地良さ」とか「イメージ」を大事にして、自分の感覚を信じて、色々と工夫してみることだ。

 

情報はあくまで、おまけに過ぎない。サポート役だ。

落とし穴にはまらないためには重要だけど、最終的には「自分自身の工夫」に勝るものはないと思う。

 

特に人間の肉体というのは、ほんの少しの角度や感覚の違いだけで、まったく別の動きをするように出来ているらしい。

たとえ教科書通りにやっても、ほんの少しの動かし方の違いなどで、効果は全く変わってくるはずだからだ。

 

(もちろん、決定的間違えをおかさないために、情報収集も切実に大事ではあるのだけど)

 

歩き方の工夫のコツ

たとえば、次のようなことを工夫してみる。

 

  • なるべく、自分が心地良く感じる歩き方を探してみる
  • なるべく、自分がプラスのエネルギーを感じられる歩き方を探してみる
  • たとえば、歩く時の足の角度を調整してみる (内側や外側に)
  • たとえば、かかとから歩いてみたり、つま先で床を蹴ってみたりする
  • 「体全体で歩く感じ」とか「軍人になったつもりで歩く」とか、イメージを工夫もしてみる

 

 

個人的な経緯

最近、半年ぐらい「歩きづらい」と感じていた。

「速く歩けない」「ただの徒歩が辛い」と思っていた。

 

色々と工夫をして、経過を見てみるけれど、やはり歩きづらい状態が続いた。

まだ30歳前半なのに、老人になったらどうなるんだろう、なんてことを思っていた。

 

人と出かけても歩くことが辛いし、すぐに疲れて座ってしまう。

これは、肉体に何が起きているんだろうと悩んでいた。

 

 

今思えば、僕は「歩き方」というものにすごく無頓着だった。

自分が歩きづらいのが、まさか歩き方のせいだなんて、思ってもみなかった。

 

「改善の余地がある」という発想さえ浮かばなかった。

 

パワーウォーキング

エネルギーを充填できるような歩き方。

そして歩き方自体を、工夫して改善していくこと。

 

これを僕はひそかに「パワーウォーキング」と呼んでいる。

実は世の中には、もとからこの呼び方、やり方があるということを、最近知った。

 

パワーウォーキングのメリットは、何と言っても、

簡単で、気持ち良くて、日常の中でそのまま実践できるところだろう。

ただ、普段の歩き方を変えるだけで良いのだから。

 

これが息を切らすようなスポーツだと、とてもこうはいかない。

定期的に時間をとって、着替えたりして、息を切らして、シャワーを浴びて、面倒臭さや苦しさにも勝たないといけない。

 

だからウォーキングというのは、ビジネスパーソン、運動嫌いの人や、面倒くさがりの人にはもってこいだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

オセロの瞑想 ( マイナスをプラスに裏返す )

瞑想はオセロに似ている。

黒を白に裏返すがごとく。

 

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はじめに

  • たとえば、敵に負けるよりも、自分が勝つほうが良い。
  • だけど、もし敵を味方にできたら、もっと素晴らしい。
  • マイナスをゼロにするのではなく、マイナスをそのままプラスに変えられた方が良い。

マイナスからゼロへ VS マイナスをプラスに

  • 不安を減らすよりも、不安を喜びに変えられた方が良い。
  • 借金を減らすよりも、貯金が増えた方が良い。
  • 緊張を抑えるよりも、安心を増やせた方が良い。
  • 疲れを減らすよりも、むしろ回復できた方が良い。

 

「マイナスを減らす」という戦略には、落とし穴もある。

それは「ゼロが最終地点」ということだ。

 

つまり、ゼロを目指している限り、マイナスはプラスに変わりづらい。

あくまで防衛的な戦略なのだ。

 

「マイナスをプラスに変えようとする」方が、ずっと強力なメソッドだ。

心の世界では「マイナスがそのままプラスに変わる」ということが、本当に起こる。

 

もちろん万能のメソッドというわけではないし、地道な練習は必要だけれど。

この理解の仕方ひとつで、瞑想のやり方はぐっと幅を増すことだろう。

 

ステージの前の興奮

 

たとえば音楽のアーティストでも、ステージに立つ前の鼓動の高鳴りを

「耐えきれないぐらいの緊張」だと感じる人もいれば、

「武者震いが止まらない」と感じる人もいるという。

 

つまりひとつの肉体的現象を、心理的に「どう感じるか」は、僕らの意識に関わっている。

そして、実は、瞑想のトレーニングを積めば「感じ方」というのは、案外自分で変えられたりする。

 

ただし、頭で考えても無駄だ。

それを肌の感覚で実感できる必要がある。

 

たとえば僕個人の話

 

僕はたとえばカフェにいるとき、人の話し声が苦手だった。集中力を削いでしまうから。

だから集中力を保とうと、人の声から意識を逸らそうとしていたのだけれど。

でも逆に「周りに、他の人がいる」という安心感に意識を向けると、それが心地よく感じられるようになってきた。

 

他にもたとえば「読書は集中力を使うし、消耗するものだ」と思っていた。

なので「なるべく集中力を減らさないように、リラックスして読む」ことを心がけていたのだけど、

それを逆に理解してみることにした。

「読書でリラックスできる」「文字が目に入るだけで、楽しくなってくる」という感覚を持つほうが、ずっとプラスになるし、心地良いと気付いた。

 

このように、自分の当たり前に抱いている「信念」を、いちど疑ってみることで、マイナスをプラスに変えられるようなのだ。

 

オセロの白黒を裏返す

 

 このように

「不快だと思っていた感覚」と仲良くなって、

それを「受容」したり、「快く感じてみること」は、本当に役立つメソッドだ。

 

オセロを裏返すみたいに、マイナスの面をプラスにそのまま置き換えることが出来る。

 

ただし最大の注意点は、これは瞑想的な訓練だということ。

頭だけで考えてもうまくいかないということだ。

 

(たとえば重要でも、いきなり一本背負いができないように)

 

このメソッドを成功させるには、新しい感覚が意識に「フィットする」必要がある。

それには日頃から、地道なトレーニングを積んでいくのが良いだろう。

 

ところで信念とは

頭の中で何度も繰り返され、そのたび強められる、無意識的な思考の習慣のことだ。

 

たとえばこれは、バックグラウンドに流れている音楽のようなものだ。

たとえるなら、いつも流れているせいで、流れていることにさえ気付かないバックグラウンドミュージック。

それが信念の正体だ。

 

何度も何度も、自動的に思考が浮かぶせいで、

僕らはそれを思考していることさえ、まず気付くことが出来ない、常習的な思考の形態。

そして、それに端を発して「感じ方」の体系が出来上がる。

 

たとえば「読書は疲れる」という信念を持っている人は、

読書のことを思い浮かべるたび「疲れるものだ」という思考を、ほとんど無意識に思い浮かべるし、その思考に沿った感じ方をして、それに沿った行動を取るようになる。

 

だが信念の正体は「おびただしい数の、繰り返される思考」なのだ。

瞑想の訓練を積むことで、信念にさえアクセスできるようになるのは、このためだ。

 

普段は見過ごしているような「自分の思考」に敏感になるおかげで、僕らは信念さえオーバーライドすることが出来る。

北風と太陽の法則 ( あるいは不安と受容の法則 )

 

心に不安がある時

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普通、心はそれを抑え込んだり

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逃げたりしようとする

(たとえ無意識でも、心はそう動いていることがはるかに多い)

 

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喜びを広げるのは、もっと良いアプローチ

 

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だけど、さらに良いアプローチは、不安と友だちになること

これを心理学だと「受容」って言ったりする。

 

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すると案外、悪いやつじゃないんだな、ってことに気付く

 

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具体的なトレーニング

 

ゆっくりとする

 

なにか不快さに気付いたら、心にスペースをつくるイメージを描く。

(少しだけ穏やかで、少しだけ深くて、少しだけ大きな呼吸をしてみる)

 

大事な部分。

「不快にさせる対象」そのものじゃなくて、

「自分の反応」を認識してみる。

 

そして、その「自分の反応」を受容してみる。

受容できたか、受容できなかったか、失敗と成功を理解する。

 

受容できたら楽になるはずだし、

できなかったらもっと苦しくなるかもしれない。

 

心がふっと楽になるまで、何度かチャレンジを続けてみる。

 

100回に1回ぐらいはうまくいくかもしれない。

うまくいかなくてもいい。ともかく、全ては練習だ。

 

 

注意

 

この需要のトレージングは、ちょっとだけ難易度が高めだ。

僕の実感としては、まずは、心のバランスが取れていることが大前提になる。

 

中級者向けだと言えるだろう。

 

受容のトレーングがうまくいかない場合は、基本に戻ったほうが良い。

 

「心地良さに集中する」

「呼吸に集中する」

「起きている現象をただ観察する」

など、よりベーシックな訓練をするのが良いだろう。

 

 

 

飲酒と瞑想を比べてみた ( どっちが優れてる? )

お酒を飲むと、気持ち良くなれる。

瞑想をしても、良い気持ちになれる。

 

「それなら、お酒を飲むだけでも良いんじゃない?」と、ふと思ったことがあった。

だけど考えてみると、圧倒的な違いがある。

飲酒(アルコール)

  • 飲めば飲むほど体を壊す
  • だんだんと効果が薄れていく
  • 人間関係の橋渡しにはなるが、関係改善の効果はない
  • 仕事に悪影響をおよぼす場合がある
  • 技術ではないので、他の分野に応用は効かない
  • けっこうお金がかかる

 

瞑想

  • やればやるほど心が安定する
  • だんだんと効果が高まっていく
  • 人間関係の改善に効果がある(かもしれない)
  • お金がほとんどかからない
  • 仕事や集中力に好影響を及ぼす
  • 技術なので、他の分野に応用が効きやすい

つまり

飲酒は右肩下がり。

瞑想は右肩上がり。

 

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ところで

 

世の中にはアルコールを使った瞑想もあるという。

「自意識」が作用しにくい状態にするためだそうだ。

 

自転車に乗れるようになる前の、補助輪みたいな感じだろうか。

自己啓発は役に立たない、そんなことより瞑想しよう

自己啓発が好きな人、ごめんなさい。

 

これからするのは、
自己啓発は役に立たない」
「それよりもっと優れた方法がある」

という話。

 

自己啓発は役立つことも役立たないこともある


僕自身、自己啓発の本は昔によく読んだ方だ。

 

そして、
自己啓発は役に立つこともあるし、立たないこともある」
というのが正直な感想だ。

 

自己啓発は自分の人生にとって、トータルではプラスになったと思っている。

 

だけど自己啓発というのはは本当に、
心に響く時と、響かない時の差が激しい。

 

心が洗われるように感じることもあるし、

逆に、本を読めば読むほど、つらい気持ちになることもあった。

 

これは自己啓発というのが、完全に「言葉の世界」で構成されているせいだ。

実践を伴わない、知識だけの世界で。

 

自己啓発を役立てられる人、役立てられない人

 

自己啓発が役に立つ人というのは、ある程度、「心の基礎」が出来ている人だと思う。

 

たとえば本に書いてあることはひとつでも、僕らの心の受け止め方は様々だ。

知識をうまく受け止めて有効活用できる人もいれば、出来ない人もいる。

 

自己啓発のベストセラーで
「思考は現実化する」というものがあるけれど、
それはあくまで、心の基礎が出来ている人の話じゃないだろうか。

 

なぜなら、頭ではポジティブシンキングをしているつもりでも、
実は心はネガティブに反応していたりするからだ。

(無理矢理なポジティブシンキングが辛いのは、そのせいだ)

 

自己啓発のコンセプトは落とし穴


だけど、自己啓発にはそもそも、決定的な落とし穴がある。
それは、よく言うように「読んだだけで満足して終わってしまう」ということだ。

 

「実践が大事」だと心がけても、あまり意味はない。

なぜならすぐに飽きて、やめてしまうから。

あとは、行動には働きかけても、心に直接働きかけるアプローチではないから。

 

 

たとえばスポーツでいうと、
「スポーツの本」を1時間だけ読んで、まったく練習をしない選手とか、1日だけ練習をしてやめてしまう選手。

そんな選手が上達できるだろうか。

 いや、出来ない。

 

自己啓発に圧倒的に足りないのは
「練習して上達する」というコンセプトなのだ。

 

心のトレーニングは上達する

 

スポーツと同じで、心の世界でも、上達するためには練習が必要だ。

 

1時間やって、覚える。

100時間やって、上達する。
1000時間やって安定する、という世界。

 

だけどこれは逆に言うと

「トレーニングだから、練習すればするほど上手くなる」という話でもある。
 


では、どうやって「心の練習」をすれば良いかというと、
それが最近話題になっている「瞑想」や「マインドフルネス」だと思っている。

 

ところで自己啓発とは違って、瞑想には由緒正しい歴史がある。
仏教だけに限らず、宗教を問わずに、人類が数千年の昔から実践してきた「心のトレーニング法」だ。

 

だからというわけではないが、僕自身の実感としても、

「頭で考える自己啓発」と「具体的なトレーニングをする瞑想・マイドフルネス」には圧倒的な差を感じている。 

 

瞑想のアプローチ、自己啓発のアプローチ


瞑想やマインドフルネスが、自己啓発のアプローチと全く違う点は、
「練習をして、上達する」という点に尽きると思う。

 

ひとつは「練習をせずにうまくなりたい」というアプローチ。
ひとつは「練習をしてうまくなる」というアプローチ。

どちらが理にかなっているかは、自明だろう。

 

運動をしないと体は強くならないのと同じように、
練習をしないと心を安定させることは出来ない。

 

僕らのほとんどは「心のトレーニング」をする習慣がないから、
トレーニングを始めるだけで、劇的な効果があると思う。

 

ちなみに僕の場合は、始めてからすぐに良さを実感して、病みつきになった。

 

おすすめの本

具体的なトレーニングを始めるには、何か一冊本を買ってみて、一番簡単なトレーニングをやってみるのが良いと思う。

(ちなみに、呼吸に意識を集中させて、意識が逸れたら呼吸にまた注意を戻す、それを繰り返すだけ。これがけっこう難しい)

 

瞑想の本には分かりにくいものが多いので、
「マインドフルネス」と題された本のほうが、理解しやすいと思う。

 

僕のおすすめの本は「マインドフル・ワーク」「サーチ・イン・サイド・ユアセルフ」「ジョイ・オン・デマンド」などだ。
(特にエンジニアなど、理詰めで物を考える人には向いている)

 

世界の本棚の80%
 

本当に、世の中は自己啓発の本で溢れていると思う。


「これを読めば幸福になれる」
「これで人生が180度変わる」
というような本は本屋にぎっしりと並んでいる。

 

もしそういったタイトルが真実なら、自己啓発書の出版数の分だけ、どんどん幸福な人間が増えて、
政府は多くの補助金を出していても良いはずだ。


だけどそうじゃない。
瞑想を実践している今なら分かる。

 

世の中の自己啓発書は全て、
「思考」っていう、そのままでは役立ちにくい、20%のために書かれている。

 

だけど重要なのは、自分の意識のトレーニングをしたり、訓練で集中力を身につけるという、ベースにある80%なのだ。

 

瞑想で読書は役立つ

 

と、ここまで書いたけれど、実は僕は瞑想を始めて、逆に「読書」は非常に役立つと実感している。

 

心が安定して、意識がトレーニングされた分だけ、本の内容がすっと心に落ちてくる。
まったく別の角度で読書をするようになった。新しい世界を見ているような感じだ。

 

基本があってこそ、応用がある。

瞑想という大きなベースの上で、知識は初めて役に立つ。

 

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