マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

日常で10000時間の瞑想を達成するのは簡単だ

瞑想の上達は、スポーツや楽器の練習と似ている。

 

1時間練習すれば、未経験者から経験者になる。

10時間練習すれば、上達の感覚が掴める。

100時間練習すれば、ほとんどの人より上手くなる。

1000時間練習すれば、一芸に秀でる。

10000時間練習すれば、天才になれる。

 

10000時間の瞑想は簡単

 

10000時間というと気が遠くなるかもしれないが、

ここで重要なのは「瞑想の練習は、24時間できる」という事実だ。

 

実際には、睡眠時間をのぞいた16時間ぐらいだろうか。

 

仮に起床時間のすべてを瞑想に使ったとすると、

約2年で10000時間を達成できることになる。

 

まあこれはあくまで理論だから、座ってフォーマルな瞑想をするのに比べて、そんなにうまくはいかないかもしれない。

だけど、瞑想の経験値を溜めることは日常の中で可能なんだ。

 

仕事をしている時も、料理を作っている時も、洗濯をしている時も、道を歩いているときも、いつでも「瞑想的の練習」をすることで、練習時間をグンと伸ばすことが出来る。

 

一粒で二度美味しい日常の瞑想

 

 

 

仮に「フォーマルな瞑想」に比べて効果が10分の1だったとしても、1日に1時間半ぐらいは、自然に瞑想の経験が積めることになる。

実際の効果の比率に関しては分からないが、ともかく、やればやるほど日常の過ごし方がうまくなっていく。

 

具体的な話をしよう。

 

たとえば僕は、会社で人とすれ違う時、

「あ、あの人、挨拶をしなかった」と思ったりする。

だけど次に、その自分の思考に気付く。

そうすると、1ポイント瞑想の経験値が溜まったことになる。

 

次に、

「本当に1ポイント溜まったんだろうか?」

「こんなことで瞑想がうまくなるんだろうか?」

と、僕の頭は思考する。

 

その思考に気付いて、逃れられたら、また瞑想の経験値が溜まる。

(特に何も判断を加えない、というのも良い)

 

こんなことを繰り返しながら、だんだんと仕事の集中力は増し、人間関係は良くなり、旅行に行けば楽しく、道を歩けば心地良い。

なおかつ、瞑想もどんどんうまくなるなんて、こんなに美味しい話があるだろうか。

1%のコツ

 

大事なのは、いつもとほんの少しだけ、違う風にやってみること。

いつもよりほんの1%だけ、意識的にやってみることだ。

 

たとえば、いつもは疲れるような仕事で、1%で良いから、リラックスしようとしてみること。

いつもは気が滅入るような時間帯に、ほんの1%だけ、呼吸に意識を向けて、心にスペースを作ってみること。

 

この1%の繰り返しが、少しずつ自分の安全を押し広げてくれる。

 

これは、試すだけで効果がある。

失敗も成功も、すべてが経験値に変わる。

 

それが瞑想の世界だ。

 

おすすめの本

「天才! 成功する人々の法則」

 

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瞑想で不安を解消して 安らぎを感じる方法

  • 1. 瞑想を続けていると、不安が段々と小さくなってくる。
  • 2. 心の安定度が高まり、リラックスできるようになってくる。
  • 3. その次には、ただのリラックス状態ではなくて、精神的な安らぎさえ感じることができるようになってくる。

 

でも、なぜ、そんなことが起こるのだろう。

 

安らぎは原始的な感覚


たとえばこう理解してみよう。

 

僕らは生まれた時、あるいは生まれる前、心からの安らぎの中で過ごしていた。

母親の胎内に包まれて、ただ安心を感じてはいなかっただろうか。

 

つまり「安らぎ」は、僕らが元々、生まれながらにして持っていたものなんだ。

瞑想は、僕らが普段ほとんど忘れている、原始的な感覚にアクセスする方法だとも言える。

 

 

まずは呼吸を練習する

瞑想を始めたばかりだと、いきなり「安らぎ」にアクセスするのは難しいかもしれない。

心理的な「安らぎ」を見つけようとすると、心が反発して、逆に不安に駆られるかもしれない。

 

そんな時は、アプローチを変えてみよう。

応用からではなく、基本から積み上げてみるのだ。

 

(あなたが欲しい「ご褒美」は、しばらくお預けになるけれど、千里の道も一歩から。ゴールには宝の山が待っている)

 

呼吸は安らぎのベースだ。

呼吸がうまくなれば、安らぎの基礎を作っていることになる。

 

「リラックスできる呼吸」

「心地良い呼吸」

 

を意識して、呼吸の楽しませ方を練習してみると良いだろう。

 

 

 

あたたかさに意識を向ける

「安らぎ」と「あたたかさ」は、とても似ている。

安らぎというのは、たとえば母親の胎内の温かさや、親猫が子猫を毛づくろいする優しさみたいなものだ。

 

なので、体の「あたたかさ」に意識を向けると、心理的な「あたたかさ」も感じ取りやすい。

「温度」というのは、実は人間の心理にすごく影響を与えているものなのだ。

 

なので「安らぎ」を感じるためには、同時に体の中で「あたたかい部分」を感じてみるのが良いだろう。

 

自分を優しく扱う

これはとても心理的なトピックだ。

 

実は、自分というのは二人いる。

「自分」と「自分を扱っている自分」だ。

 

僕らは普段、意識せずに「自分で自分自身を扱って」いて、そしてだいたいは、厳しく接していることだろう。

(そして、そのことにまるで気付いていない)

 

だけど例えば、親しい友達に接するように、愛する誰かに接するように、同じように自分自身にも接することが出来たなら、心はものすごく楽になることだろう。

 

「自分に優しくする」というフレーズは、あなたも聞いたことがあるかもしれない。

だけどそれを一瞬だけ感じて通り過ぎるか、身につくまで練習を続けるかは、別物だ。

 

心理的なアプローチを練習する

 

瞑想のアプローチがただの心理学と違うのは

「何度も練習して、経験値を積む」というところだ。

 

(1回だけ本を読んだ人と、1000回練習する人、どちらがうまくなれるだろう?)

 

 

たとえば「自分に優しくできている状態」というのも、意識で理解するのと、頭で考えるのとはまったく違う。

ある程度、心を観察するレベルが要求される。

 

だけど、もしあなたが「呼吸でのリラックス」や「肉体的な心地良さ」だけに飽き足らなくなってきたら、こういった心理的なアプローチをとってみても良いだろう。

 

僕の実感でいうと、瞑想の基礎が出来ている限り、心理的なアプローチのほうがずっと強力だ。

単に呼吸や、身体的な心地良さより、ずっと深遠な安らぎを感じ取ることが出来る。

 

ただし、これはあくまで応用編だ。

何かうまくいかないと思ったら、また呼吸に戻って、ベースを作り直すのが良いだろう。

 

写真

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__MaRiNa__ (改変 gatag.net)

http://free-photos.gatag.net/2014/05/24/000000.html

 

 

 

 

瞑想でリラックスできない人のためのコツ

コツ. 呼吸をコントロールする

呼吸をコントロールすると、とてもリラックスしやすい。

「体をリラックスさせよう」「心をリラックスさせよう」というアプローチより、ずっと簡単だし、効果がある。

 

呼吸はリラックスの基本であり、真髄だ。

 

「一番心地良いのは、どんなスピードの呼吸だろう」

「一番心地良いのは、どんなリズムの呼吸だろう」

「一番心地良いのは、どんな深さの呼吸だろう」

 

など、あなたが思うままに、試してみよう。

 

コツ. 心地良さを感じてみる

リラックスのコツは「心地良く感じる部分を探してみる」ということ。

それは呼吸でも良いし、体の感覚でも良いし、音や、温度や、景色でも良い。

 

 

「リラックス」と「心地良さ」はすごく似ている。

心地良さを感じられればリラックスできるし、リラックスしている時は心地良さを感じているからだ。

 

なので、心地良さを見つけるトレーニングをしてみよう。

(このトレーニングでは、練習するほど心地良さを見つけるのがうまくなる、こんなに美味しい話はない)

 

コツ. リラックスも練習だと理解する

瞑想の世界では、リラックスも練習するほどうまくなる。

 

 

偶然リラックスできるのでもなく、周りの環境だけが影響するのでもなく、

自分自身の状態をコントロールして、意図的にリラックス状態を作り出せるようになる。

 

だけど、必ずいつもうまくいくとは限らないし、再現性を上げるには、地道な練習は必要だ。

 

 

 

最初は100回に1回だけしか成功しないかもしれない。

だけど、たとえ99回失敗しても、その中の1回だけでも「あ、今いい感じ」という瞬間を見つけられれば大丈夫。

 

どんな失敗をしても経験値が上がるし、逆に、失敗するからこそ経験が溜まっていく。

だからどんどん失敗して「これでもない」「あれでもない」と、うまくいかないパターンを脳が理解していくのを待とう。

 

そして1回の成功体験は、宝箱を開けてアイテムを手に入れるみたいなものだ。

 

コツ. イメージを描いてみる

頭でいくら考えても、うまくリラックス出来ないことに、あなたは気付くかもしれない。

「頭で考えるリラックス」と「感覚でとらえるリラックス」は、本当に、まったく違うものだ。

 

なので、もし呼吸に余裕があれば、

「もし今、自分が一番リラックスできていたとしたら、どんな感覚だろう」

「もし今、自分が一番心地良くなるとしたら、どんな感じがするだろう」

と、イメージを思い描いてみよう。

 

ここで重要な事実は、イメージを思い描くのにも、成功する場合と、失敗する場合があるということだ。

 

逆説的に、リラックスが深まった時が、イメージングに成功した時。

何も変わらなかった時や、逆に緊張が高まった時は、イメージングに失敗した時だと言える。

 

 

イラスト

リラックスしている男の子のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

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「禅を学ぶものにとっては、ほとんどの人にとってなんの価値もない雑草は、宝なのです」

 

「禅マインド ビギナーズ・マインド」より。

 

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道端の雑草が美しいと感じる時

 

個人的な話だが、これは僕が瞑想を1年実践して、本当に体験した感覚だ。

何の比喩でもなく、精神的なたとえでもなく、本当に道端に生えている雑草を「美しい」と感じたことがある。

 

それは、頭で「これは美しいはず」と考えたのではなくて、穏やかな心が、美しさの本質というものに、直接触れたような感覚だった。

 

 

瞑想のトレーニングをしていて良かったと思うのは、そんな瞬間だ。

 

瞑想なしには、決してこんな体験は出来なかったと思う。

 

お金を払わない感動もある

 

 

ちなみに、こんなことを人に言ったら、ちょっと頭が変だと思われるかもしれない。

(雑草をしげしげと見つめて「美しい」なんて感じるのは、たしかに常軌を逸している)

 

いまの世界では、お金を払ってディズニーランドに行ったり、最新の映画を観たりした時にしか、感動してはいけないというルールになっているのだ。

 

だから僕らは、たとえば、映画の中で演出された月には感動するけれど、本当の世界の月には、まず目もくれない。

あるいは気付いたとしても、一瞬だけ見て、あるいはスマホで写真に撮って、足早に通り過ぎてしまう。

それが、いまの僕らの行動習慣でもある。

(なんでもない景色に感動することが、社会的承認を得ていないなんて)

 

だけど瞑想を実践する人にとっては、お金を払って観る映画や、時間をかけて行く旅行だけではなくて、日常のほんの些細な出来事や景色が、贅沢な娯楽に変わる瞬間がある。

 

まさに「ほとんどの人にとってなんの価値もない雑草」が「宝」になるのだ。

 

トレーニング 

 

  • たとえば空を見上げてみて、10秒だけゆっくりと、なるべくぼーっと眺めてみよう。(雑草はレベルが高いから、なるべく綺麗な景色を眺めるのが良いだろう)
  • あなたの思考は「なんだ、綺麗だけど、ただの月じゃないか」と、すぐに通り過ぎようとするかもしれない。だけどその「思考の判断」のバックグラウンドに「心の体験」が存在するかどうか、探してみよう。
  • 「思考の判断」と「心の体験」の違いが少しでも感じ取れたら、それをよく味わってみよう。
  • すぐには、なにも分からなくても良い、だけど、何か心を引くものを見かけるたび「思考ではない心の体験」「クオリア的な体験」が起こっていないか、よく自分の心を観察してみよう。

 

きっとあなたも、この世界を味わうのがうまくなるはずだ。

 

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瞑想が眠い人、寝てしまう人のためのすごい対策

すごく簡単なことだ。

発想を逆転させてみよう。

 

「瞑想で眠くなる」なら、

 

「眠くならない環境で瞑想」をすれば良い。

 

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対策. 家の外で瞑想をする

瞑想はどんな場所でもできる。

特に僕が好きなのは、カフェで瞑想をすることだ。

 

お気に入りのカフェに行って、椅子に座り、目を閉じて、ゆっくりと音楽に浸ったり、平和な気持ちにひたったりする。

これが意外と、心が落ち着くのだ。

 

人類の成り立ち的に、人のざわめきというものは、心に安らぎを与えてくれるものらしい。

(周りがうるさくても、その時はその時で、うるささの中でも平穏を見つけるトレーニングになる)

 

ちなみに他の人には、目を閉じてゆっくりしているようにしか見えないだろう。

だけど、僕は瞑想家だから、目を閉じている間にも瞑想をするのだ。

 

対策. 歩きながら瞑想をする

 

歩きながらの瞑想は、由緒正しい歴史があるらしい。

フォーマルな瞑想の1種類だと言って良いだろう。

 

歩きながら、浮かんでくる思考に気付いたり、足裏の感覚や、そよいでくる風や、体の感覚に意識を向けたりする

 

この方法なら、眠くなるはずがない。

むしろ、だんだんと頭が冴えてくることだろう。

(ちなみに、歩きながら目は閉じないように)

 

数々の天才が散歩を趣味にしていたように、散歩にはすごく良い効果があるらしい。

同時に瞑想も出来るとなれば、一石二鳥だ。

 

ちなみに僕は毎日出勤の途中、歩きながら瞑想をおこなっている。

 

対策. 読書しながら瞑想する

実は、読書も瞑想になる。

人にもよるかもしれないが、読書には覚醒効果があるので、ただ座って瞑想をするよりは、眠くなりにくいはずだ。

 

詳しい方法は、次の記事を読んでみてほしい。

 

mindfulness.hatenablog.jp

 

対策. ブログを書きながら瞑想する

ブログを書くことも瞑想になる。

なぜなら瞑想は、広い意味でいうと、意識のトレーニング全般のことだからだ。

 

文章を書いている間は、おそらく眠くなりにくいだろう。

重要なのは「ブログを書くこと」よりも「ブログを通して、瞑想をしている」という角度でやってみることだ。

 

たとえば、

「こんなブログを書いて何になるんだろう」という思考が浮かんできたり、

「ちょっと呼吸が乱れてきたな」と気付いて呼吸を立て直したり、

「ブログを書いている自分」に、後ろの視点で気付いたり、

こういう気づきの回数が多ければ多いほど、それはトレーニングになる。

 

 

対策. 普段からよく寝ておく

 

瞑想も睡眠不足には勝てない。

なるべく「睡眠負債」を返却しておこう。

 

対策. 別に、寝てもいい

そういう考え方もある。

瞑想を始めてから、眠りに落ちるまでの間だけでも、トレーニングに当ててみよう。

 

瞑想のおかげで、いつもより少し、安らかに眠れるかもしれない。

 

イラスト


www.irasutoya.com

読書で瞑想できるんです 〜集中力を付けるリーディング術の効果〜

僕は読書が好きだ。

だからかどうか分からないが、読書は瞑想のトレーニングと、すごく相性が良い気がしている。

 

読書というのは、人間の「意識」が深く関わっている行為だ。

だから意識のトレーニングにはもってこいだ。

 

ところで、あなたもいままで、本を読んでいて「いつの間にか内容が頭に入っていなかった」という経験があるだろう。

つまりこれは逆に言うと、読書では自分が「上の空になっていたこと」がすごく分りやすいということだ。

 

ちなみにここでいう瞑想というのは、目を閉じて座るんじゃなくて、もっと広い意味での意識のトレーニングのこと。

(なので目を閉じなくても良いし、もし目を閉じたら本を読もうとしたら、それは瞑想じゃなくて超能力のトレーニングになってしまう)

 

僕の場合はこんな感じです

僕がやっているのは、こんな感じのトレーニング。

  • 「重要なのは本の内容ではなくて、読書を通して、意識のトレーングすることだ」ということを、最初に理解しておく。
  • 本の内容以外に意識が向いたことに気付いたら、本に意識を戻す。(たとえば目の前に置いたコーヒーが飲みたいとかいうことに意識が逸れたら、それに気付く。これには何度でも気付いて良いし、気づく回数が多ければ多いほど、それがトレーニングになる)
  • 集中するのは良い。だけど、本の内容に完全には引き込まれずに、呼吸や意識を平静に保つようにする。たとえば、体に力が入っていることに気づいたら、リラックスできるかどうか試してみる。呼吸が乱れていたら、整える。
  • 読書をしながら、自分の意識の状態が変わっていくのを観察する。ある時は集中状態に入り、ある時は非集中状態に入る。その波を味わってみる。
  • 読書に疲れたら、ゆっくりと休む。目を閉じて、回数を決めて、ゆっくりと呼吸をカウントする。

 

(ポイント)  瞑想 > 読書

 

読書によるフロー体験

自分の意識状態を観察しながら、そのバランスを取って、さらに本の内容まで把握する。

これはなかなか高度な技だと思う。

 

 

これが普通の読書と違うのは

あくまで「瞑想=意識のトレーニング」がメインだということ。

 

つまり「上の空になる」のではなく、

逆に「完全に本の内容に引き込まれてしまう」のでもなく、

 

その絶妙な中間地点に、意識を導こうするチャレンジだ。

 

本の選び方

僕の場合、集中力が高い時は難しい本を、集中力が低い時はやさしい本を選ぶようにしている。

 

ちなみにこれは、個人によって難易度が違う。

自分が抵抗を感じるのが難しい本で、感じないのがやさしい本だ。

 

たとえば一般的には

「あまり読んだことのないジャンルの、理解しづらい専門的な本」であれば難しい本だし、

「読み慣れた作家の、文字数が少なめの小説」であれば、難易度が低い、やさしい本だといえる。

 

ちなみに「理屈で考えると、やさしそうな本」でも、心は「難しい」と感じている場合もあるし、その逆もある。

「心が抵抗を感じるレベル」がそのまま、難易度だと理解するのが良いだろう。

 

効果

 

このトレーニングで

「難しいことをしながら、なおかつリラックスして、集中する」という能力が身につくはずだ。

 

いわば「フロー状態」を意識的に作り上げるためのトレーニングだと言える。

 

特にオススメなのは、そもそもフロー状態や集中力、瞑想に関係する本を読みながら、同時に読書で瞑想のトレーニングをおこなうこと。

こうすれば読書の最中にも「いま、瞑想をしているんだ」ということを思い出せるし、二乗の効果が得られるだろう。

 

そして、もし余裕が出てきたら、瞑想には全く関係のない本でも、瞑想状態を保てるかどうかチャレンジしてみるのはどうだろうか。

 

 

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集中力を鍛えるには観察力を磨きなさい

あなたは知らないかもしれない。

集中力を鍛えるのに最も大事なのは、実は「観察力」という奴だ。

 

聞きなれない言葉だと思っただろうか。

だけど、人間にとってあまりにも大事な能力だ。

 

観察力が土台で、集中力が家だ。

その逆じゃない。

 

集中力がある人とない人の違いは、観察力があるかないかの違い。

と、そのまま言い換えることさえ出来ると思う。

 

 

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なぜ観察力が大事なんだろう

たとえば、こう考えてみよう。

 

  • そもそも、自分の集中力が途切れていることに気づかずに、どうやって集中を取り戻せるだろう?
  • そもそも、力が入っていることに気付かずに、どうやって力を抜けるだろう?
  • そもそも、ボールが来ていることに気付いていないバッターは、どうやってヒットを打てるだろう?
  • そもそも、通行人に気づいていないドライバーは、どうやって人をよけられるだろう?

 

 

 

気付いていないと、対処できない。

気付いているから、対処できる。

 

 

これはとてもシンプルな法則。

 

この「観察力」という魔法の杖を使うか使わないかで、人生の過ごし方はまったく変わってきてしまうことだろう。

 

観察は人間の本能

「観察力」について教えられてこなかった僕らは、このキーワードを聞いても、一体なんのことだかさえ、分からないかもしれない。

 

いわゆる教科書に載っているような手順では、観察力は身につけられない。

 

世間で売られているような本にも、なかなかこの本質は書かれていない。

 

だけど、大丈夫。

観察力は、人間の本能として備わっている。(と僕は考えている)

いちどこう理解してしまえば、あとは、その本能を妨げているものを外していくだけで良い。

 

ところで人類はおそらく、昔から、獲物を「観察」することで、狩りをおこなってきた。

観察力は、人が生き延びる上で最も重要な能力だったはずだ。

 

なぜなら、観察力のなさは死に直結しただろうから。

そう、観察力は人間の本能に備わっているのだ。

 

だけど、トレーニングは簡単

 

一番やりやすいトレーニングは、自分の肉体的な心地良さや、心地悪さを観察してみることだと思う。

 

僕らの体は、いつでも「心地良い」「心地悪い」のいずれかの状態にある。

(さらに言えば、いつでも、その複合的な状態にある)

 

 

もし、まったく何の感覚もしないように思えても、必ず、どこかに快不快の感覚はある。

どんなに小さなレベルでも、どんなに気付きにくいものであっても。

 

もし「僕はまったく快でも不快でもない」という人がいたなら、それは生きた人間ではない。

つまり、瞑想を実践する必要もないだろう。

(この文章を読んであなたが今、少しでも何かを感じたなら、それが快不快の感覚だ)

 

それじゃ、やってみよう

 

目を閉じても良いし、閉じなくても良い。

座っても良いし、座らなくても良い。

 

一番やりやすい方法、やりやすいシチュエーションで構わない。

 

 

  • 自分の体の感覚の中で、心地良い部分、心地悪い部分がどこにあるかを意識してみよう。
  • その感覚が時間につれて、大きくなったり、小さくなったりするかどうか、感じ取ってみよう。
  • 心地良い部分が移動したり、さっきまで心地良かった部分が、心地悪くなったり、その逆の現象が起きたり、ということに意識を向けてみよう。
  • 余裕があれば、呼吸のしかたを調整して、それがどんな影響を体に与えるか、試してみよう。

 

これを繰り返すことで、自分の意識に対する観察力が付く。

 

 

観察は最高のゲーム

 

もしかしたら「こんな観察に何の意味があるんだ?」と、あなたは思うかもしれない。

 

けれどこれが、やってみると意外と面白い。

なぜなら、トレーニングを重ねるほど、自分の意識の状態というものがだんだんと、手に取るように分かってくる。

いわばゲームみたいなものだ。

 

しかも、どんな時でも楽しめて、お金もかからず、集中力が付いて、仕事や人生にまで役立つときている。こんなにおいしい話があるだろうか。

 

そして、自分の感覚を観察できるということは、意識や肉体がバランスを崩した時に、すぐさま対処できるということでもある。

 

たとえば呼吸が浅いことに気付いたら、呼吸を深くすることが出来る。

体がこわばっていることに気付いたら、力を抜くことが出来る。

力の抜き方さえうまく分からなかったら、一番うまく力を抜ける方法を試してみることも出来る。

 

自分の意識や体の反応を見て「集中の絶妙な感覚」を、少しずつ築き上げていくことが出来るのだ。

  

イラストの利用

 

www.irasutoya.com